プロジェクトマネージャーの生き方

キャリアへの示唆や組織の中での生き方について書いていきます

プロジェクトマネージャーの転職 その4

個人的な転職体験談もそろそろ折り返し地点、今回は私の通った転職までの4段階

  1. モヤモヤ: 将来に不安を感じ、ただ漫然と探す
  2. シャキッと: 自己分析をし、ターゲットを絞る
  3. ワクワク: 応募の準備をする
  4. ドキドキ: 応募、選考(特に面接)

 

のうち、第2段階の番外編です。

いい加減次に行けと言う声も聞こえてきそうですが、私の場合、転職に至るまでに自分探しをしていた時間が圧倒的に長かったので、書いておきたいことがたくさんあるのです・・・今しばらくのご辛抱を。

バックナンバー

第1段階(だた漠然と現状に不満を募らせ、やさぐれた割には頭の中がお花畑だった頃):

プロジェクトマネージャーの転職 その1 - プロジェクトマネージャーの生き方

第2段階(自分の価値観などを整理しようとミッション・ステートメントを書こうとし始めた頃)

前半: プロジェクトマネージャーの転職 その2 - プロジェクトマネージャーの生き方

後半: プロジェクトマネージャーの転職 その3 - プロジェクトマネージャーの生き方

転職への道 第2段階 シャキッと編 番外

前回まで、自分探しのために「ミッション・ステートメント」を書いた話をしてきました。自分探しと言うと簡単ですが、自分にとって大事な価値観を改めて文字に起こし、この先の行動指針、迷ったときの優先順位を定義するということを時間をかけてやったわけです。

私の「ミッション・ステートメント」をそのままここで紹介するのは恥ずかしすぎるのですが、それでもごく手短に言いますと「横串になりたい」と「何事もシンプルに」という2点に纏められました。ここに至るまでの過程はしかし、「出世したいけど多分もう無理だよね」という事実と折り合いをつける考え方を探す道のりでした。

カビとペンキ

私は昭和生まれの煩悩に塗れた人間です。成功=出世という考えがしっかりと植え付けられています。親に言われるがまま受験戦争に身をやつし、いつも少し背伸びをして俗に「良い」と言われる学校に通い、「優良」と言われる会社に就職し、苦労した自分は報われるはず、会社でもどんどん出世できるに違いない、という考えを心の片隅でずっと持っていました。

この何の根拠もない「出世するだろう」「出世しないと苦労が無駄」という考えが私の心の中ではカビのような存在になっています(過去形ではなく、現在進行形です)。上からペンキを塗っても塗っても段々浮かび上がってくるのです。

では何がペンキかと言うと、「ホンモノになりたい」という想いです。何故か良く分からないのですが、子供の頃から必殺仕事人のようなキャラクターに憧れ、寡黙だけど「分かっている人」が格好良く見えて仕方ありませんでした。ただ目立ちたい、ただ出世したい、そのために上司に一所懸命ゴマをする、というのはダサいとも思っていました。

若い頃、平和ボケの私は「ホンモノになれば、勝手に上から蜘蛛の糸が降りてきて出世する」ということが起こりうると考えていたのです。もちろん、両者は相反するものではなく、ホンモノを極め出世もしている方もたくさんいらっしゃいます。それでも、会社で勤めた経験のある方なら何となく似たような感覚をお持ちだと思うのですが、やっぱり出世するにはそのために時間と労力をかける必要があり、ホンモノになることだけに集中していると間違いなく会社のヒエラルキーの中では出遅れます。一度出遅れると、どんなに見識があっても目立てず、成果は横取りされ、どんどん差が開く一方です。時々「大抜擢」などというニュースも見ますが、こんなラッキーが自分に降ってくるはずはないのです。

結局30代後半でこの現実に直面し、でも心の底で認められないまま、何とか心を落ち着かせようと、「出世したい」→「もう遅い」→「そもそも自分はホンモノになりたい」→「出世は気にせず見識を積み上げよう」→「自分より若い上司とか気に入らない」(最初に戻る)というループを繰り返していました。カビが浮いてきてはペンキを塗っていたわけですね。

カビキラー

「ミッション・ステートメント」を書くにあたって、このループは断ち切りたいと考えていました。自分の価値観を見極める質問に対する答えを考え、さらに掘り下げて、やはり「ホンモノ」になるというのは捨てられないという結論に達しました。これまで生きてきて、見識のある人、技術的な話題で色んな引き出しを持っている人の話は面白く、心を打つもので、そういう人達のようになりたい、技術的な本質を面白おかしく自分の言葉で語れるようになりたい、という思いはとても強いものでした。

ただ、問題はカビです。どうせまた時間が経てばカビが浮いてきます。完全に根絶できなくても、カビキラーぐらいは噴いておきたい、ちゃんとカビキラーも「ミッション・ステートメント」に取り込みたいと思い、色々考えました。最終的に「自分の好きなことは何か?」という質問から良いヒントが出てきました。

私の場合、長らく自動車業界で働いていたのですが、実はそこまで車が好きというわけではなく、留学してそのまま外国で就職するのに、自動車業界、それもサプライヤーであれば日本人でも雇ってもらえやすいという理由で選んだようなものでした。本当は、鉄道、飛行機、船が好きなのです。何故かは分かりません、昔から好きなのです。自動車部品サプライヤーの中で色々面白い仕事を見つけて経験してきましたが、心のどこかでちょっと満たされない気分がありました。

ですので、好きなもののそばで働ければそれだけで心の満足度が上昇し、カビの成長は抑えられるのではないかと考え、これまで培った経験を他産業で活かす方向で生きていくことにしました。幸い、ちょっと前まで流行った自動運転技術に長く携わってきたのですが、まさに今鉄道や船でも自動車業界の技術を取り入れようという機運もあり、自動運転技術の経験を軸にすれば他業界への転職も不可能ではない情勢でした。

好きなこと、趣味を仕事にすることには賛否両論あると思いますが、私は「好きなもののそばで働くこと」をカビキラーとして使ってみることにしました。

湿気のない風通しの良い環境も大事

ペンキとカビキラーで当面は対応できそうではありますが、基本的にはどちらも対処療法ですから、本当はそもそもカビができにくい環境にする必要があります。そもそもの考え方も変えていかないと、ということですね。そんな思いでもうかれこれ5年ほど、哲学や自己啓発の本を色々読んできました。人の目線を気にせずに自分らしく生きよう、自分のやりたいことをやろう、出世だけが人生の成功ではない、幸せなんて人それぞれ、と説く本は本当に山ほどあります。それだけ多くの人が同じような悩みを抱えて生きているんだなと思います。人生100年時代、出世に囚われ過ぎて過労で体を壊しても勿体ないですし、定年後の長い第2の人生を楽しく過ごすには会社の肩書きより趣味や友達がいた方が良いでしょうし、大体日本の大企業でさえ一生面倒は見れないと言い出していますし、自分の人生は自分でデザインしていくというのがこれからの潮流なのでしょう。

個人的には、哲学者ニーチェと禅の考え方に救われるような気持ちになりました。ちょっと厨二病っぽいですが・・・ニーチェ流に言えば私なんかはルサンチマンの塊なので、「末人」ということになります。彼の思想は難解で、私も全然理解できていないのですが、人生そのものには意味なんてない、同じことの繰り返し、だからこそ自分の軸を持って今を生きよう、ということなのかなと勝手に考えています(専門の方がおられたら全然違うと怒られそうですが)。他人の土俵にのらない、自分の価値観で生きる、ということがまさに「出世に拘らずにホンモノを目指す道を辿れば良い」と自分を励ましてくれている気になります。

問題なのは、本を読んだ直後はスッキリした気分になるのですが、日常生活でつい忘れがちになり、カビの発生を防ぎきれないところです。時々本を読み返しては「あのニーチェがこう言ってるんだし」と言い聞かせるのが今のところ唯一の解決策です。ちなみに、たくさんあるニーチェに関する本ですが、私の愛読書はこれです。

ニーチェに抵抗がある方は、禅のことを紹介した本なんかもお勧めです。

突き詰めると同じようなことを言っている印象です。禅の良いところは、もともと日本語で書かれているので、格言がすんなり理解できるところでしょうか。ニーチェは一度ドイツ語から日本語に訳された上に、専門家の解説がないと理解しづらいので、自分の目に入る文章はどうしても訳者や専門家の考え方に影響されてしまうきらいがあります。

 

完全物理モデル観

ニーチェついでに、ちょっとヤバい奴の独り言なのですが・・・最近ニーチェ永遠回帰をさらに発展させたような世界観を考えるようになりました。

昨今、ニューラルネットワークを利用した機械学習が流行っていますが、これはそもそも人間の脳の働きを模したものとされています。そうやって考えると、人間の考えること、行動は本当はニューラルネットワークのようなもので厳密にモデル化できるのではないかと思うのです。そして神経伝達物質などは化学物質ですからその反応もモデル化できるはずし、そういった物質が体内を運ばれるのは流体力学があればモデル化できるでしょう。人間は体外から刺激を受けますが、刺激は全部物理現象です。今の技術では無理でしょうが、本当は全てモデル化できて、次に何がどう動くのか計算できるのではないでしょうか。

そうやって考えると、これから自分がどういう人生を送るのか、そもそも世界がどうなっていくのか、本当は物理モデルで全部計算できるものであって変えようがない、ということなのかと。世界を変えたい、という人が現れたとしても、そういう人が現れること自体が、物理モデルで予測されているのではないかと。

我ながら面白い世界観に至ったなとは思っているのですが、じゃあどう生きるべきかという答えが今のところ出てきません。これまでに思いついたのは「人生なるようになる」。ニーチェ風に言うと重度のニヒリズムに行き着いてしまいそうです。どんな答えに至ろうが、その答えに至るということ自体が物理モデルによって計算される未来に含まれているので、何かを変えることはできないのです。こんな世界観の中でどうやって残りの人生を歩めば良いのか、これからも思いを巡らせてみたいと思います。こうやって思いを巡らせることも私のニューラルネットワークで計算された結果です(笑)

 

と、ここまで長々と徒然に書いてきましたが、私は何とかペンキを上塗りしカビキラーを噴射し(結局私は鉄道業界に転職しました)、そして時々ニーチェで換気をしながら、40代の壁(40クライシス)をやり過ごそうとしています。まだ転職して時間があまり経っていませんが、今のところカビキラーは効いています。別にこの記事でどなたかの悩みを解決できるなんて考えてはいないのですが、中年男のもがきが誰かの一服の清涼剤になれば幸いです。

次回こそ、転職への道 第3段階に話を進めようと思います。